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ベトナム・マレーシアよそもの生活記

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2020年 04月 19日

言永(1982)『FULRO?』人民公安出版社による序文(試訳)

引越作業をしていたら、捨てようと思っていたDVDのつまった段ボール箱の底から、なつかしい言永 Ngôn Vĩnh 氏(1982)『FULRO?』(人民公安出版社)が出てきた。著者・言永氏は旧・越南内務部(いまのベトナム公安省)政治保衛局の情報士官で、特に中部高原の山地諸民族に対して共産党と政府に従うよう宣撫工作を行っていて、宣伝(プロパガンダ)的な新聞記事や小説作品を書いている。

中部高原の山地諸民族は越語 Mọi, 越語 Thượng, 越語 Miền núi, 仏語 Montagnardes, 英語 Montagnards, エデ語 Rade Gar または Ede Gar (De-ga), ラグライ語 Ra Glai, コホー語 Kon Cau)などと呼ばれる。Mọi(毎人)はエデ語やラグライ語の Tamoi が語源で、「友」「客」の意であり、本来蔑称ではないが、京人(越族)は次第にこれを蔑称のように使うようになったので、新たに Thượng(上人)が使われるようになった。 Thượng は漢字「上」の越南漢字音であるが、ある時期から越南政府・共産党は使用を控えるようになり、代わって、国じゅうの山地民すべてを指す Dân tộc Miền núi(山地民族)が使用される傾向が表れた。仏語 Montagnardes, 英語 Montagnards も山地民を意味する。エデ語 Rade Gar または Ede Gar (De-ga), ラグライ語 Ra Glai は「森の人」の意、コホー語 Kon Cau(コーンチャーウ)は越語 con cháu と同じ語源で、「子孫」「同胞」の意である。コホーに限らず、モンクメール語を解する山地民は、コーンチャーウを自称する。Dega は同名の「反共」「反越」的な「デガ福音教会」が出現したために政治的な色がついてしまったし、Ra Glai は同名の民族集団が実在して紛らわしくなってしまった。Mọi, Thượng, Miền núi, Montagnardes, Montagnards は皆他称であって、中部高原の山地民がそう名乗ることはあまりない。

FULRO(フルロ、越語の発音では Phung Rô、また、「匪」(Phỉ)とも呼ばれる)は仏語 Front Unifie pour la Lutte des Races Opprimes(被抑圧諸民族闘争統一戦線)の略称で、1964-1995年まで、約30年存続した越南とカンボジアの少数民族による反政府組織である。兵士たちはクマエ・クロム(越南南部)やチャム(越南南部及び中部)、モンタニャード(中部高原)など、上座部仏教信者、シャーフィイー派やバチャム、バニーなどの回教信者(ムスリム)、公教信者(カトリック)や精霊・祖霊崇拝者(アニミスト)が中心で、南越(南ベトナム)政府軍と正面衝突する一方、解放戦線や共産軍とは衝突を避け、カンボジア政府軍や米軍とは協力し合っていた。1967年のアメリカの介入による南越・FULRO合作以降は米軍非正規部隊(CIDGs, シッジーズ)の中核を担った。1975年の越南・カンボジア同時共産化以降はアメリカの残置諜者として反共闘争を開始し、越南人民軍やポルポト派とゲリラ戦を展開したが、1979年の越軍によるカンボジア侵攻と中越戦争の後は、中国の介入によるポルポト派・FULRO和解が成り、また越国内の福音教会(デガ福音教会ではない)へのアメリカ諸教会からの支援が FULRO に流れ、1992年までカンボジアで、1995年まで越南で、残存部隊の活動が続いていた。

日本語で書かれた FULRO に関する研究はほぼ皆無であり、中部高原の山地諸民族に関する歴史学・人類学的記述にやや詳細に触れられるだけである。2000年代のジャーナリズムにおいては、勝田悟氏による記事が重化学工業新聞社「アジア・マーケット・レビュー」に、ネイト・タイヤー氏(Nate Thayer)による記事の日本語訳が朝日新聞社「アエラ」及び朝日新聞本紙に掲載された。小説として、実際に越南でモンタニャード関係者や公安関係者に取材して書いたと思しい、船戸与一氏(2005)『蝶舞う館』(講談社)があり、詳細で正確な FULRO 関係の記述に驚かされた。阮朱黄 Nguyễn Chu Hoàng 氏(1984)『高原の旋風』Những cơn lốc cao nguyên は FULRO を取り締まる側が主人公の警察小説であるが、『蝶舞う館』同様に、FULRO と関係を秘かに持つ福音教会の役割が示されている。1975年以降の越南において、FULRO と福音教会の間に何らかの協力・資金関係があったのは恐らく事実である。しかし、1964年当時の FULRO 創立メンバーには恐らくただの一人も福音信者はいなかったし、1930年ごろから導入され1990年以降爆発的に広まった聖道会(CM&A)系の福音教会は、勤勉、節約、禁酒、非暴力、生産への再投資優先など、「持続可能な発展」を重視しており、上記の「匪」(Phỉ)の別名もあるように匪賊的で非持続的な FULRO の闘争と連携する要素は無かった。

FULRO の活動を支援した福音教会として Hà Mòn や上述の Dega などの反越・反共的な音教会がある。指導者たちは「土地・財産をすべて放棄して国境を出てカンボジアに行けば、神の御心により国連がアメリカに連れて行ってくれて、天国のような暮らしを約束してくれる」と信じ、そう人々に布教して、2000年代に数千人のモンタニャードが救いを求めてカンボジアに越境し、一部は越政府と国際連合高等弁務官事務所(UNHCR)の説得を受け入れて帰国したが、多くはアメリカに難民として渡った。結果論として、デガ福音教会は多くのモンタニャードにアメリカ渡航の機会をもたらしたといえる。しかし、聖道会(CM&A)に属する福音教会はこの非生産的で破滅的な行動に初期から一貫して反対していた。また、それぞれの地域福音教会は地元で最初に入信した民族・集落の長老の血統を極めて重視する自律的な教会であって、信仰の自由をめぐって公安と緊張関係にあるものの、FULRO の活動を支援した Hà Mòn や Dega とも対立していた。したがって Hà Mòn や Dega などの布教基盤は元々極めてもろいものであり、信者獲得ができないまま、アメリカにおけるモンタニャードの苦しい生活による人々の幻滅も相まって、2020年現在はほぼ無力化されたといってよい。

言永氏の『FULRO?』本文は、いわゆる実録小説であり、阮朱黄氏の『高原の旋風』のようなアクション・シーンは少ない。政治的な宣伝(プロパガンダ)小説であるにもかかわらず、説明せりふを登場人物たちはあまり吐かない。そのため、出版元・人民公安出版社による『FULRO?』序文は、本書で唯一、越南内務部(公安部)の公式な政治的見解が示される場となっている。

『FULRO?』序文

民族統一体は一国家の生存を決定する力であり、民族分断は常に侵略者の主要な政策である。フランス植民地主義者の占領の80年は、民族分断という一陰謀に抵抗する越南民族の80年でもあった。フランス植民地時代、国土は三分割され、南部は「属地」、中部は「君主つき保護領」、北部は「君主なき保護領」、西原(中部高原)は「皇朝疆土」(中部君主の私有地)、沱瀼は譲地、河江は軍管区にように統治制度が複雑化された。そのほかにも、京人(越族)と上人(モンタニャード)、ある上人と別の上人、良民(非基督教徒)と教民(基督教徒)、ある省と別の省、ある集落と別の集落の間を深く分断するための溝を掘ることを目的とする様々な政策があった。

越南共産党の指導のもと、わが人民は八月革命をなしとげ、政権を奪いとり、抗仏戦争に踏み出した・・・




by t_shine | 2020-04-19 17:58


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